大阪地方裁判所 昭和41年(わ)3259号・昭41年(わ)3175号 判決
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〔判決理由〕第一、本件公訴事実
本件公訴事実の要旨は
「被告人は、大阪市東成区中道元町一丁目一〇三番地所在の中越陸運株式会社大阪営業所の前従業員で、同社の従業員の一部をもつて組織する全国自動車運輸労働組合中越陸運支部大阪分会の執行委員であるが、右中越陸運支部ではかねてより従業員の解雇撤回および年未一時金の支給問題などをめぐつて会社側と争議中のところ、
第一、昭和四一年六月一四日午前一〇時ごろ、会社ですでにロックアウトを実施中の前記大阪営業所二階炊事場付近において同営業所現業課長秋野添こと陳秋添(当四〇年)に対し、かねて被告人が同人に営業所一階事務所裏口の扉の施錠を中止するよう要請しておいたのに同人がこれに応ずる態度を示さなかつたところから、同人を難詰し、被告人を避けて同所を立ち去ろうとする同人を一階事務所横の広場まで追いかけ、同所で同人の左胸部を手で数回突き飛ばして地上に転倒させ、さらに立ち上がろうとする同人の左肩部を手で突いて仰向けに軽倒させるなどの暴行を加え、よつて同人に対し全治約七日間を要する左前胸部、肩胛骨部および腰部挫傷を負わせ
第二、同年七月一四日会社側でロックアウトを実施中の名古屋市西区山田町中小田井字茨島四九番地所在の同社名古屋支店における同組合名古屋分会の争議を支援中、同日午前九時三〇分ごろ同支店正門付近において同社従業員岩根英勝(当二五年)が会社側の設置したロックアウト用有刺鉄線を修理しているのを目撃するや、同人に対し右修理作業の中止方を求めたのに同人がこれを拒否したことに憤慨し、前かがみの姿勢で有刺鉄線を修理中の右岩根の前胸部を膝頭で強く蹴りつけて暴行を加えたものである。」というのである。
第四被告人の陳秋添および岩根英勝に対する各行為の法的評価
一構成要件該当性
刑法二〇四条の「人の身体を傷害す」とは他人の身体に生理的機能の障害を与えることであり、被告人の陳に対する行為は、それにより同人に対し左前胸部および左肩胛骨部挫傷を負わせ、同人の身体に生理的機能の障害を与えたのであるから、被告人は同条の「人の身体を傷害したる者」に該当する。
また、同法二〇八条の「暴行」とは人の身体に加えられる有形力の行使を意味し、被告人の岩根に対する膝頭で同人の前胸部を強く押した行為は人の身体に加えられた有形力の行使であるから、被告人は同条の「暴行を加えたる者」に該当し、被告人の行為はいずれも構成要件該当性を具備する。
二違法性
1 実質的違法性阻却の判断基準
違法性は全体としての法秩序に対する違反として憲法以下全法体系の見地から総合的に判断しなければならないが、刑法における違法性は右のような違法性が認められたものの中から、量的に一定の程度以上の重さを有し、かつ、質的に刑法上の制裁を適当とするものだけがとり上げられているというべきである。そして実質的違法性の判断は、社会生活の中で歴史的に形成された社会倫理的秩序により許容されているか否か、すなわち社会的相当性があるか否かにより決すべきであるが、一応の具体的基準として、その行為の動機、目的が正当であるか(目的の正当性)、その手段方法が右目的を達するため社会的常規を逸せず相当なものであるか(手段、方法の相当性)、行為の際における状況に照らしてそのような行為に出ることが緊急を要するやむを得ないものであり、その行為のほかにこれに代わる適当な手段方法を見出すことが不可能もしくは困難であつたか(緊急性、補充性)、侵害された法益の価値、程度がその目的との関連上軽微であるか(法益の権衡性)等を挙げることができる。しかしながら実質的違法性の判断における一般的原理は社会的相当性であるから、右各個の基準は決してすべての場合に等価値のものとして形式的、並列的に扱わるべきでなく、侵害法益が極めて軽微であり、その行為によつて他のより大きい法益が救済される場合には、他にとるべき手段があつたとしてもその行為は社会的に相当と云える場合があり、補充性は常に要求される絶対的要件ではなく具体的な場合に考慮さるべき事情の一つに過ぎないと解すべきである。
そこで、被告人の陳秋添および岩根英勝に対する行為について右基準に照らしてその実質的違法性阻却の有無を判断することとする。
2 陳秋添に対する行為について
(1) 目的の正当性
本件会社は前記のように、昭和四〇年一一月その株式が四日市倉庫株式会社社長堀種治から中越運送株式会社社長中山修に譲渡され、商号が変更されるとともに経営者が交替したものであるが、交替直後の新経営者は赤字を理由に組合側の年末一時金支給の要求に対しゼロ回答をなして譲らなかつたので、従業員が新経営者に対し不安と不満を抱いたことは容易に窺知できるところであり、組合側は右ゼロ回答に対し同年一二月二二日二四時間ストライキを行ない、その後会社構内施設および営業用自動車の車体にビラを多数貼付し、時間内職場集会を開くなどの争議行為をなし、会社側は組合役員の配置転換および懲戒解雇、組合側代表者が被解雇者であることを理由とする団体交渉の拒否、第一組合員に対する給料等の不当な差別的分割遅払い、全自連脱退のしようよう、第一組合員に対する大量指名解雇、第一組合脱退者に対し金員を交付して、脱退工作に当らせること等の第一組合圧迫の不当労働行為をなし、被解雇組合役員に対しその者のみの解雇撤回をほのめかし、東成営業所と中越運送株式会社東京営業所間の連係による営業を勧奨するなど第一組合の団結の切り崩しを図るような行為をなし、右組合弱体化および労働者団結の切り崩しのための行為の一環として著しく不当違法なロックアウトを行なつたものである。
組合および積極的に組合活動を推進していた被告人は右ロックアウトを不当として抗議し、これに対抗して組合の団結を守り活動を維持するため東成営業所に常駐することにし、会社側要員と対抗してともに同営業所一階事務所に泊まり込んでいたものの、そのようなことで双方対抗し合つても無意味であるということから昭和四一年五月九日ごろ会社側と協定を結んで同営業所二階食堂を組合事務所にとして借り受け、ここに寝泊りするようなつたのであるが、右協定の際同営業所一階事務所の裏口の扉を常時開けて置くことも合意したのに拘らず会社側は右協定成立の日から一〇日位経過したのち右一階事務所裏口の扉を常時開けて置くとの取り決めを遵守せず、夜間右扉に施錠をするようになつたので、二階組合事務所に寝泊りする組合員にとつては用便にも支障を来たすことになり、組合側はしばしば会社側に抗議したが、その都度一時的に履行されるだけで、すぐに施錠がなされる状態であつた。
そこで、被告人は同年六月一三日同営業所の施設管理の任に当る同所所長菊原英治および陳秋添に対し右扉を開けて置くよう申し入れたのに拘らず同日夜も施錠がなされたので、同夜右扉の鍵を保管したのは前記菊原英治であつたが陳秋添もこれを保管することがあり、同人が右扉の施錠をなしたのではないかと考えた被告人は、翌一四日午前九時ごろ火気見廻りのため同営業所二階炊事場付近に来た陳秋添に対し、「開けて置けと言つたのに、何故開けて置かなかつたか。」と抗議したが、同人は「所長に聞いてくれ。」というのみで、鍵の保管者等につき説明しようともせず、その場から何とか逃がれようとする態度に終始したので、被告人は同人に逃げられると、右扉の施錠に関する問題は解決しないまま残され、前記取り決めが履行されない状態が続くことになるので、同人を逃がすまいとして右営業所一階事務所前広場で通用門から構外に出ようとする同人の前に立ち塞がつて、なお抗議を続けたが、同人は沈黙のままさらに逃げようとしたので、これを制止しようとして同人の前胸部を右手で一回突いたものである。ところがさして強く突いたと思われないのに同人が尻餅をついたので、ロックアウトに入つたころより会社内に警察官が頻繁に出入りしているのを想起し、前記のように第一組合から脱退後第一組合員に対し脱退工作をするなど組合の利益に反するような行為をなし、また必ずしも被告人に対し好感を抱いていない同人が被告人を陥れ、警察の介入を招くような行為に出たとして憤慨し、これに強く抗議するため、尻餅をついて起き上がろうとする同人の前胸部をさらにもう一回手で突いたものである。
ところで、被告人が尻餅をついて起き上がろうとした陳秋添をさらにもう一回突いた行為は、第一回目の突いた行為に連続し、これと密接不可分の関係にあり、これのみを別個独立のものと評価するのは相当でなく、その動機目的において同人の逃走を制止するためのものであると認めるべきである。すなわち、被告人が右手で陳秋添の前胸部を突いた行為はいずれも東成営業所二階組合事務所から一階会社事務所へ通ずる同会社事務所裏ロ扉の施錠を開けて置く旨の協定の不履行に対し抗議し、その後の履行を確保するための話し合いをするため、これを避けて逃げようとする同人を逃がすまいとしてこれを制止しようとしたものであり、前記の経過に照らせば会社側の違法なロックアウトにより正当な組合活動を圧迫され、同営業所構内から不当に閉め出されたのみならず、その対応措置として会社側に認めさせた同営業所二階組合事務所の機能すら右違法なロックアウトの一環としての一階会社事務所裏口の扉の閉鎖により阻害されようとしたのに対し、組合の権利ひいては労働者の団結権を守るために出た行為であると云わなければならない。
そして被告人は、陳秋添が被告人から第一回目に前胸部を突かれて尻餅をついた行為は、刑法上の行為とはならないような被告人の右行為をとらえて不当に警察問題にしようとするものであると主張しており、客観的にみてその疑いが全くないとは云えない本件において、右陳秋添の行為は場合によつては刑事司法作用を誤まらせ、そのために被告人個人の利益のみならず、組合の活動、利害にも打撃を与え、当時の被告人らにとつて非常に重大な結果を生ずることになり得ると認められるから、被告人が陳秋添の前胸部を第二回目に突いた行為は、前記のように同人が話し合いを違けてひとえに逃げようとするのを制止するという意味の外に、同人の右の不当な行為に対して強く抗議するという意味ももつものであると云わなければならない。
そうすると、結局被告人の陳秋添に対する行為の動機、目的は労働権と個人の自由を保障する憲法を頂点とした法秩序全体の精神と社会的正義の理念に照らし正当なものであると云うべきである。
(2) 手段方法の相当性、緊急性、補充性および法益の権衡
被告人が陳秋添に対する本件行為に及んだ直前の状況は、すでに明らかにしたように東成営業所二階組合事務所から一階事務所に通ずる同事務所裏口の扉を常時開けて置くという取り決めがあるのに拘らず会社側がこれを遵守せず、組合側がしばしば抗議しても前夜相変らず右扉に施錠したのに抗議し、以後右取り決めを履行させて、組合の権利を確保しようとして、同営業所構内の施設の管理に当る陳秋添に対し右取り決めの不履行に抗議し、その後右取り決めを履行させるため、同人に前夜の不履行の理由をただし、話し合いをしようとしたのに拘らず、同人はただその場から逃がれようとするのみであつたことに鑑みると、逃げようとする同人の前胸部をとつさに右手で特に強い力を加えずに突く程度の有形力の行使は、争議中の会社側職制と組合役員の労働関係上の紛争であることを合わせ考えると、前記目的達成のための手段方法として許される限度を越え、社会的常規を逸したものであるとは云えず、また前記の経過に照らし同人をその場から逃がしてしまえばその機会に話し合うことができなくなり、その後においても同営業所施設の管理担当者が快く話し合いに応ずるとも考えられず、同日以後も夜間右営業所一階会社事務所裏口の施錠がなされるであろうことは明らかであるから、同人が逃げようとするのを制止するため右手で一回前胸部を突く程度のことは緊急やむを得ない行為であつて、これに代わる適当な手段方法を見い出すことも困難であつたと言わなければならない。そして、さして強く突いたわけではないのに同人が尻餅をついたのを見て、被告人を陥れ警察の介入を招くものであるとして、これに対し強く抗議するため「なんだ、どうしてこんなことで倒れなくちやなんねえのか。」と言いながら、再度同様の行為をしてみせたのも、有形力の行使であるとはいえ、前記のように陳秋添が第一組合の脱退者であり、脱退後会社側の脱退工作に協力しており、被告人との間に個人的恨みがあり、またそのころ警察官が会社に頻繁に出入りしていたなどの事情に鑑みると、被告人が右のように考え憤激したのは止むを得ない面もあり、事柄の性質上社会的常規を逸したものであるとは認められない。そして、被告人の右行為によつて侵害された法益の価値程度は、前記のように間もなく診察した医師に圧痛を訴えたものの発赤も見られない程度の前胸部挫傷および治療七日間を要する右肩胛骨部挫傷であるが、右傷害のため被害者陳秋添の日常生活に支障を生じたとも認められず、右の左肩胛骨部挫傷も治療を施したとはいえ通常ならば医師の診察あるいは治療を受けるなどしないと思われる程度のものであり、いずれも被告人が本件により守ろうとした法益に比較すると軽少であると判断するのが相当である。
以上の事実のうち、すでに証拠を掲げて認定したものを除き、その余の部分は被告人の当公判廷における供述によりこれを認める。
以上のとおり、被告人の陳秋添に対する行為は、憲法以下の全法体系の見地から総合的に判断すると、刑法上の制裁を適当とするだけの質および量の違法性を帯びているとは云えず、刑法上の社会的相当性を欠くもの、すなわち実質的違法性を有するものでないから罪にならないというべきである。
3 岩根英勝に対する行為について
(1) 目的の正当性
前記のように年末一時金支給問題等をめぐつて紛争中の会社側は、前記のように第一組合弱体化および労働者団結の切り崩しを狙いとした違法なロックアウトをなしたのであるが、名古屋支店においては右ロックアウト自体が正当性を欠き違法であるのみならず、同支店二階の組合事務所への通路を遮断し、同事務所への出入りを困難ならしめることによつて、さらに違法性の強い行為をなしたものである。すなわち会社側要員および第二組合に対するロックアウト解除後は第二組合員が同支店に勤務する昼間はともかく、同人らが居なくなる夜間は正門および補助門を閉鎖するので、同支店二階従業員寮に居住する従業員および同二階組合事務所に寝泊りする第一組合員は通路を失い、正門横バリケードの有刺鉄線数本が切断され、人の出入りが可能な程度に開いた所、いわばバリケードの破損個所からの出入りを余儀なくされていたのである。ところが、岩根英勝が同支店支店長松川虎之助に命ぜられて昭和四一年七月一四日午前九時三〇分ごろ右バリケードの破損個所の修理を始めたので、これを目撃した被告人が同人に近寄り他に出入口を作るか右バリケードの破損個所をそのまま放置するよう要求したが、同人がこれに応ぜず右修理作業をなしたので、さらに抗議するとともに、しやがんで作業をしている同人の前胸部を膝頭で押したのである。したがつて、被告人の岩根英勝に対する右行為は、違法なロックアウトによつて不当に労働者の有する権利を侵害されたのみならず、右ロックアウトの実施方法として同営業所二階から構外へ通ずる通路を遮断することによつて、同営業所二階の組合事務所の機能および同支店二階に居住する者の生活権を損われたので、これを防止するために出たものであることが明らかであるので、その動機、目的は法律秩序全体に照らして正当であると解される。
(2) 手段方法の相当性、緊急性、補充性および法益の権衝
被告人が右行為に及んだ直前の状況は、前述のとおり前記バリケードを修理していた岩根英勝に近寄り、右修理の中止方を要求したが、同人が修理を中止しなかつたので、被告人は、右膝を立て左膝を地面につけてしやがんで作業をしていた同人に接近し、その左斜前に立つて抗議をなし、同人が下部の有刺鉄線を門柱に釘付けして顔を上げた時膝頭で同人の右乳の少し上部を一回強く押したものであり、前記のように右バリケードの破損個所が修復すると同支店二階従業員寮に居住する従業員および同二階組合事務所に寝泊りしている第一組合員は出入口を失い、会社側要員および第二組合員が居なくなる夜間は殊に同支店構外への出入が困難となることは明らかであり、同人に対して作業の中止方を強く要求したにも拘らず、同人が修理を続けたことが認められ、同人が第一組合を脱退し、脱退後は会社側から金員の交付を受けて第一組合員に飲食を供応して脱退を勧誘して廻るなど組合の利益に著しく反する行為をなしていたこと、第八回公判調書中の証人陳秋添の供述部分(五六一丁表)によつて認められるように岩根英勝がかなり気性の荒い性格であつたこと等を合わせ考えると、被告人が右のような行為に出たことはいささか穏当を欠くとの感は免れないとはいえ、やむを得ない面もあり、前記目的達成のための手段方法として許された限度を越えるとは認められず、また右バリケードの修理自体は軽い作業であるが、現に継続中であるかあるいは終了直後に本件行為がなされたのであり、後述の同支店支店長松川虎之助の言動に鑑みると、同日以後会社側要員および第二組合員が帰宅した夜間においては、右バリケードの修復により同支店二階組合事務所に寝泊りする第一組合員および同二階従業員寮に居住する従業員は構外へ出入りする通路を失う状況にあつたことが認められる。そして、被告人の右行為によつて侵害された法益の価値程度は、その反動によつて被害者岩根英勝が尻餅をついた程度のものであるから、被告人が右行為により守ろうとした法益に比較するとはなはだ軽少であると云わなければならない。本件当時岩根英勝に右バリケードの修復を命じた同支店支店長松川虎之助が同支店事務所に居たのであるから、右修復作業の中止方を求めるならば、同人の指示を執行している岩根英勝に要求するより右支店長に申し込むのが妥当ではないかとも考えられるが、被告人の当公判廷における供述(一、四二七丁表から一、四三三丁裏まで)によると、事件直後現場に来た右支店長に対し、被告人が「これを修理すると出入口がなくなる。出入口を作つてくれ。」という旨抗議したところ、同人は前記のように同支店北側階段付近のバリケード外側にある空地から西側道路に至る北側バリケードとその外側にある溝との間に右バリケードに沿つて残された幅員約1.9メートルの雑草が腰の高さ位に密生し人の通行に全く適さない敷地部分を示して、「ここを通つて出入りしたらいいではないか。ここ以外に作る気持はない。」と云つて何らの措置を講じようとはしなかつたことが認められるから、同支店長に善処方求める方が目的達成のために適当な手段方法であつたかは疑問であるのみならず、前記のように実質的違法性の判断における一般的原理は社会的相当性であるから侵害法益が極めて軽微であり、その行為によつて他のより大きい法益が守られる場合には補充性が認められなくても社会的に相当と云える場合があり、補充性は常に要求される絶対的要件ではなく具体的な場合に考慮さるべき事情の一つに過ぎないと解すべきであるので、前記のように侵害法益が極めて軽微である本件において補充性はさほど大きな比重を持たないと云うべきである。
右補充性も含めて、被告人の岩根英勝に対する行為の社会的相当性を考察するに、結局右行為もまた、社会通念に照らし刑法上の制裁に価する程法律秩序をみだし、社会的相当性を欠き実質的違法性を有するものとは認められないから罪にならないというべきである。
第五結論
被告人の本件行為はいずれもその動機目的において正当であり、目的達成のための手段方法としてはその目的に照らし限度を越えないものであつたとは云え、人の身体に対し有形力を行使し、陳秋添に対しては軽微なりといえども傷害を負わせているのであつて、いかなる意味においても違法でないとは決して云えないが、あるいは違法行為に対しことごとく刑罰をもつて臨もうとせず、よく自己を抑制して違法行為中の特に処罰の必要があると認められる一定の限度においてのみ、これを処罰しようといういわゆる刑法の謙抑主義の見地から被告人の各行為は実質的違法性なしとしたものである。
以上のとおり、被告人に対する本件各公訴事実はいずれも実質的違法性を欠くものとして罪とならないので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。(山本久巳 和田忠義 北野俊光